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世界一屈辱的な礼と言われている「三跪九叩頭の礼」が首里城で復活していた

投稿日:2019年8月18日 更新日:

世界一屈辱的な礼とはどのようなものなのか李氏朝鮮時代に行われていた「三拜九叩頭」(さんききゅうこうとうのれい)の礼から見て行きましょう。

日本に併合される前の李氏朝鮮は中国の冊封(さくほう・さっぽう)に入っていたため、朝鮮の王は中国から使者が来ると迎恩門で「三跪九叩頭の礼」で迎えさせられていた。

三跪九叩頭の礼とは以下のような手順で行われるが世界で最も屈辱的な礼といわれている。
叩頭 (こうとう) とは額を地面に打ち付けて行う礼である。




三跪九叩頭の礼は以下の手順で行われる。

中国の使者の「跪(ひざまずけ」の号令でひざまずき、

  1. 一叩頭」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける。
  2. 「二叩頭」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける。
  3. 「三叩頭」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける。
  4. 「起」の号令で起立する。

三跪九叩頭の礼をする朝鮮の仁祖王(銅板レリーフ)

これを計3回繰り返すので、合計9回、「手を地面につけ、額を地面に打ち付ける」こととなる。

しかも、額を打ち付けるところには石が置いてあり、額を打ち付けたときに「ゴン」という音と共に額に血がにじむまで行う。
血がにじまなければ誠意を持って迎えていないということになる。

これを王が行うのだから、世界一屈辱的な礼と言われている。
この儀式を行うための門が建てられていて「迎恩門」と呼ばれていた。

ソウルの西大門の近くに建てられていた「迎恩門」

「三跪九叩頭の礼」は、清の皇帝に対する臣下の礼であり、三跪九叩頭を行って皇帝に拝謁することはその臣下を意味しており、国としては属国的な扱いになることを意味します。
また王になるにも清(中国)の皇帝の許しがなければなれませんでした。そのための任命式でもあります。

1895年に日本が日清戦争に勝ったため、李氏朝鮮は清国の属国から開放され、独立国となりました。
後に迎恩門が破壊されて、現在では、清からの独立を祝うための「独立門」が建てられています。

しかし、この史実は教えられていないため、韓国の若者たちは「独立門」は日本から独立した記念に建てられたと思っています。

冊封体制とは

冊封とは中国の周辺国の王が、中国皇帝に貢物を捧げて、皇帝の名の下にその国の王様であるとお墨付きを貰う事です。
宗主国対藩属国という従属的関係におくことをさす。
その儀式の中で行われるのが三跪九叩頭の礼である。

李氏朝鮮は中国に対して以下のような約束をさせられていました。

  • 朝鮮は清国に対し、臣としての礼を尽くすこと。
  • 王の長子と次男、および大臣の子女を人質として送ること。
  • 城郭の増築や修理については、清国に事前に承諾を得ること。
  • 清に黄金100両,白銀1000両,20余種の物品を毎年上納すること。

朝鮮国は貢物として・処女・美女・少年を毎年差し出すよう要求されていた。

少年たちは去勢されて宦官(かんがん)にされ、後宮(こうきゅう)で中国皇帝の側室たちの世話をさせられたそうです。

この世界一屈辱的な礼を持って迎えるために建てられたのが韓国では「迎恩門」が建てられ、琉球では「守礼門」が建てられた。

「世界で最も屈辱的な礼」と言われる儀式が沖縄で復活していた

沖繩で毎年開催されているイベントに「首里城祭り」があります。

パンフレットには「華やかな琉球王朝時代を体感できる・首里城祭り」と記載されています。

その催しの中でこの世界一屈辱的な礼と言われる「三跪九叩頭の礼」その儀式が時を経ていつの間にか復活しているのです。

イベントの解説では、「中国の皇帝が派遣した使者を迎えて行われた新しい国王の任命の儀式が再現され、訪れた人たちが厳かな儀式の様子に魅了されていましたと」と紹介されている。

冊封儀式の意味を知らない観客が見れば、随分丁寧に、厳かに中国からの使者を迎えていたんだなとしか見えない。
しかしこの儀式は中国の属国であることを示すために、世界一屈辱的な礼で迎え迎えさせられていたのです。

守礼門

公金を使いなぜこのような屈辱的な儀式を再現する必要があるのでしょうか。
沖繩はまたいつか某国の皇帝にこのように仕えたいという願望でもあるのでしょうか。

中国人の観光客がこの儀式をみて驚いているという。
そして心の中でほくそ笑んでいることでしょう。

「三跪九叩頭の礼」を求められた日本の対応

1873年、台湾出兵の処理に赴いた特命全権大使副島種臣は、同治帝に謁見した際に三跪九叩頭の礼を要求されるが、古典(五倫)を引用して立礼を主張し、最終的に立礼で通した。

当時、清国(中国)では未だに日本を含んだ欧米の諸外国に対しても皇帝への土下座のごとき三跪九叩頭の礼を強要していたのです。

これに対して福島は「冊封関係を意味する跪拝の礼をとらせることがいかに国際間の礼儀と信義に反するか」舌鋒するどく指摘し、談判は1ヶ月にも及んだが福島は一歩も引かなかった。

ついには謁見を拒否して帰国する決意まで示す。
これには清国側も狼狽し、「謁見の事はすべて日本大使意見の如くすべし」と返答を得た。

結局、3回立ち止まって敬礼をして中央に進み、一礼してお祝いを述べ、同治帝の言葉を聞いてから退出する際も、3回敬礼して終えた。

そして、副島がいよいよ帰国に向けて出航するとき、清国側は150本もの錦の旗を立て、21発の祝砲で見送ったという。
ライバルながら天晴(あっぱ)れと評価したからである。

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