最近「ポリコレ」という言葉をよく耳にすることが増えています。
日本においても無用なトラブルを避けるためにビジネスシーンで必要な概念となっていますが、行き過ぎたポリコレにより社会がなんだか息苦しくなってきています。
そんなポリコレ問題がどうなっているのか日本における事例から見ていきましょう。
日本におけるポリコレ事情
ポリコレって何?
ポリコレの正式名称はポリティカル・コレクトネスであり「政治的正しさ」 を指し、差別・偏見を受けることがないような”表現”を意味します。
より具体的には、性別・人種・宗教などの違いから生じる差別や偏見を防ぐために、差別的な表現を止め平等で多様性のある社会にしていこうという運動のことを指します。
この流れはすでに日本にも押し寄せていて、多様性やジェンダー平等への理解が足りない企業は抗議運動を起こされたり、ネット上で炎上したり不買運動を起こされてしまうことも珍しくありません。
ファミリーート、お母さん食堂炎上
2020年暮れ、ファミリーマートの『お母さん食堂』の名前を変えたい!と高校生たちが変更を求める署名を始めた。
「お母さんが食事を作るのが当たり前」という意識を社会に植え付けてしまう。
商品名が社会に与える影響を企業にも知ってもらい、ジェンダー問題をなくしていきたいというのが理由だ。
商品名の是非を巡ってネットで論争が繰り広げられ、2020年末までの期間限定で集められ、1万筆の目標には届かなかったものの、締め切りまでに7268筆が集まった。
これに対してネット世論の一部が「言葉狩りではないか」「女性同士の対立をむしろ助長する」のではないかなどと反発する書き込みも多数あり炎上した。



ファミマ、「はだいろ」表記のPB肌着を撤去
2021年3月、ファミリーマートは上記のような社会的影響を考慮したのか、プライベートブランド(PB)の女性向けのキャミソールとショーツ、タンクトップの3種類22万5000枚を自主回収したと発表した。
ベージュの肌着などを「はだいろ」と表記して販売していたが「人種や個人で肌の色は異なる」ので不適切な表現ではないかとの指摘があったため回収を決定した。
花王、「美白」表現を撤廃
2021年3月、花王は今後、全てのブランドで美白の表現を使わないと発表した。
その理由は米国で起こった黒人差別への抗議運動を受け、外資メーカーが肌の色による優劣を連想させる「美白」や「ホワイトニング」などの表記を取りやめるということである。
美白=白い肌といった特定の肌のみが美しいといった誤解を与えかねないので人種の多様性議論に配慮したため。
サンリオのマイメロが差別批判に
サンリオがテレビアニメの「おねがいマイメロディー」シリーズに登場する毒舌キャラクター「ママの名言」を使ったグッズの発売が中止に追い込まれた。
その理由は「女の敵は、いつだって女なのよ」といった表現が性的偏見を助長するという、批判を受けたためである。
桃太郎を女の子にして鬼と話し合いで和解する紙芝居を公開
静岡県内のNPO「静岡県男女共同参画センター交流会議」が8月12日、夏休みの子どもたちが絵本を通して、男女の性差による偏見をなくすことなどの大切さを考える催しを開いた。
- 催しの中では静岡県の高校で校長として勤めていた奥山和弘さんが「桃太郎」を女の子にして描いた絵本、「モモタロー・ノー・リターン」が紙芝居で伝えられた。
- 桃太郎ならぬ「桃子」がたくさんの村人たちの協力を得て話し合いで鬼たちと和解するという内容で、「参加した子どもたちは性差や身体的特徴などによる偏見や差別をなくすことの大切さを学んだ。」とのこと。


そんな危惧が現実に。
メリーランド州のオルニー・シアター・センターで上演されたディズニーの新作ミュージカル『美女と野獣』での主人公のベルがこんなことになっていた。

"美の基準" を打ち砕く新たな "美しいベル" が登場
製作者である舞台監督は「こうすることで全ての小さな女の子が、自分たちがお姫様になることを夢見ることができるようになるからです」とキャスティングの意図を説明している。
日本でも進むポリコレによりNGになった言葉

- 婦 → 看護師
- スチュワーデス → 客室乗務員
- 彼女、彼氏 → 恋人、パートナー
- 営業マン → 営業スタッフとか男女営業マン
- 魚屋・八百屋 → 鮮魚店・青果店
- 未亡人 → 故○○氏の夫人
- 肌色 → ペールオレンジ うすだいだい
- 障害者 → 障がい者
- 土人 → 先住民
- 母子健康手帳 → 親子手帳
- 痴呆症 → 認知症
- メクラウナギ → ヌタウナギ
- イザリウオ → カエルアンコウ
など。
松山ケンイチ「嫁」と呼んで炎上
俳優の松山ケンイチさんが小雪さんのことを「嫁」と表現したことが賛否を集めたことも記憶に新しい。
これは松山さんがバラエティ番組に出演した際、「髪が伸びた時には自分で切ったり、嫁に切ってもらっている」と発言したところ、SNS上で「嫁という間違った言葉を広めないでもらいたい」「嫁という発言はまずかった」という批判の声が投稿された。
嫁という言葉は家に縛られているような印象がある。
また配偶者同士の間柄で「嫁」という言葉を使ってしまうと、男性の方が立場が上のように感じてしまうというのが理由としてあげられている。

そのうち女性に「きれいだね」とか「かわいいね」も言えなくなりそうな勢いだね。


嫁(ヨメ)の語源は良い女からきていて、よい人が来てくれたのだからむしろ大切にしなくてはという説がある。
武家の世界では旦那が働いた給金は個人にではなく家に対して支払われていた。
その支払われた給金の管理は奥方が行っており、将来やがて嫁いできた嫁が引き継ぐことになる。
嫁がしっかりしていないと家が潰れてしまい、お家断絶ということになりかねない。
支払われた給金の中から必要最小限なお金をもらい旦那はお城勤めにいそしむ、だからカミ(上)さんと呼ぶのです。
最小限の小遣いをもらい派遣労働者となってまたひと月働きに行く、現代と変わりませんね。
アメリカにおけるポリコレ事情
ポリコレでNGになった言葉(人称例)

- father&mother → parent
- son&daughter → child
- brother&sister → sibling
- husband&wife → partner
など。
アメリカでは鳥の差別も許されない

この記事を要約すると、
社会正義の戦士たちは鳥が「人種差別主義者」の白人植民地時代の男性にちなんで名付けられていることを発見した後、鳥の名前を変更するように求めています。
名前の多くが植民地時代と南軍の時代に関与した人々を称えているからなのだそうです。
彼らは鳥の名前を決定する組織であるアメリカ鳥学会に変更を請願している。


行き過ぎたポリコレによりアメリカ人は疲弊している
社会的な差別・偏見をなくすことはもちろん必要なことで公正・公平な表現や言葉を使うことは大切なことではあるけれど、行き過ぎたポリコレによりアメリカで様々な問題が起きてきています。
最近のアメリカでは「メリー・クリスマス」と言わず、「ハッピー・ホリディ」と言う。
神の下にある国」アメリカが、もはや公然とクリスマスを祝うことすら許されない国になってしまった。
「ポリコレにより感情を害され過ぎる」として反発をしている人がアメリカ人の59%に達している。
そして58%の人々が、その結果自分の考えを他人に言わないようにしていると答えた。
「疲れ果てた」とされる人々が、声を大にして「アンチ・ポリコレ」をアメリカ社会で表明することはできない。
なぜなら、うかつにそのような言明をすれば「差別主義者」というレッテルを貼られ社会的名誉や仕事を即刻失う「キャンセル・カルチャー」のターゲットとなってしまうためだ。
その結果、行き過ぎたポリコレにより多様で寛容な社会を自ら掘り崩してしまう結果となり、息苦しい社会を作ってしまっている。



ポリティカル・コレクトネスを絶対的な正義だと考え、少しでも反論するとすぐにたたかれることから、「まるでポリコレは人をたたくための棒だ」といわれるようになった。
差別をなくすために作られた「ポリティカル・コレクトネス」が、いつしか“反対者”を過剰にたたくための武器として利用されるようになってしまいそれを「ポリコレ棒」と呼んでいる。
ポリコレの対立がアメリカの分断を生んでいる
日本ではアメリカの政治についてあまり知られていないがオバマやバイデン大統領が率いている民主党がリベラル派で、トランプ元大統領が率いていた共和党が保守系になります。
ポリコレはリベラル派と呼ばれる人物が主に推奨している。
リベラルとは社会的公正や多様性を重視する自由主義者と呼ばれていて、また新左翼とも呼ばれている。
それと対極にあるのが「保守派」で従来からの伝統・習慣・制度・考え方・を尊重し守っていこうという人々が支持しています。LGBT法案を積極的に進めている「リベラル派」の州と反対の立場をとっている「保守派」の州で対立が起きています。
2021年6月28日
カリフォルニア州がフロリダ州、アーカンソー州、モンタナ州、ノースダコタ州、ウェストバージニア州を加えた17州への州職員の出張を禁止していることが明らかになった。
その理由はこれらの州がLGTBが自らの性自任によってトイレを自由に使用することを妨げる法案があり「差別」だとしての措置である。
アメリカでは今この両者の対立が鮮鋭化していてアメリカ全体を巻き込み、大きな対立が起きています。
広がる格差問題、妊娠中絶、銃規制、移民問題、宗教の考え方、などこれまでもリベラル派と保守層の間で対立していたが、さらにポリコレ問題が加わり価値観における衝突が激しくなっている。
今、このポリコレの流れは世界的な潮流として多きなうねりとなり、日本にも押し寄せている。
これにすこしでも違和感を感じて反論しようものなら、「多様性を認めないのか」「弱者の権利を認めないのか」あるいは「差別主義者だ」という激しい非難を浴びせられてしまう。
しかし、公平や平等を人々に無秩序に強要し押し付け、極度に平等な社会を目指すとすれば、行きつく先は全体主義国家(社会主義)だ。


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