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「飛虎将軍」と呼ばれ台湾で神様になったゼロ戦パイロット

2021年6月17日





日本のちょっといい話

杉浦茂峰少尉

「飛虎将軍」と呼ばれ台湾で神様になったゼロ戦パイロット

台湾で神として崇められている一人に第二次世界大戦期に戦死した日本軍人のゼロ戦パイロットがいます。
名前は水戸出身の「杉浦茂峰少尉」といいます。

杉浦少尉が祀られているのが飛虎将軍廟(ひこしょうぐんびょう)で、台南市のから北西へ5キロほど離れた場所にあります。

飛虎」とは戦闘機のことを指し、「将軍」とは神格化された勇士の尊称です。
ではなぜ日本人のパイロットが台湾で神様になったのでしょうか。

杉浦少尉は第二次世界大戦中、台南上空でアメリカ軍の航空機との空中戦で被弾し、尾翼部から出火しました。
すぐさま落下傘で脱出すれば命は助かる状況でしたが、眼下を見れば集落が広がっているのが見えます。

そのまま戦闘機が墜落すれば村人に大きな被害が出ることになります。
そのため炎上しながらも杉浦少尉は操縦桿を握り続け、集落を避けるように機首を上げ、飛び去っていったといいます。

集落の安全を見届け落下傘で脱出しましたがアメリカ軍の戦闘機の機銃掃射を浴び20歳で戦死してしまいます。
機体は無残な形で畑の中に落ちていて、その傍らに若き飛行士の遺体がありました。

軍靴には「杉浦」と書かれていてこの飛行士が「杉浦茂峰」と判明しました。
自分の命を優先し、すぐさま脱出していれば命は助かったでしょう。

その惨劇の様子を一部始終見ていた村民たちは自分の命と引換えに集落を救ったゼロ戦パイロットのことを終戦後も忘れることはありませんでした。

終戦後しばらくすると村のあちこちで不思議な夢を見たという話しが広がります。
白い帽子と服を着た日本の若い海軍軍人が枕元に立っているという夢を見たという者が何人も現れたのです。

そこで人々はその兵士とは集落に墜落することを回避し、絶命した杉浦氏に違いないと判断したのです。
すでに終戦から20年以上という歳月を経ていたが、杉浦氏の悲劇は静かに語り継がれていたのです。

1971年、人々は4坪ほどの小さな祠(ほこら)を建て祀ることにしました。
その後、この地域には平穏な日々が続き、人々はこれを集落のために自らの命を捧げた杉浦氏の遺徳と考えたという。

1993年に祠は建て替えられ、現在に至っています。

現在は毎日管理人が朝夕2回、煙草に点火して神像と写真に捧げて、朝には「君が代」、夕方には「海ゆかば」を祝詞として流しています。

この儀式は1993年から毎日欠かさずに行なわれています。

集落を守るために命を落とした兵士は日本人や台湾人という区分を超越し、台湾の地にとどまり人々の暮らしを支える神となったのです。

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