韓国人は事実よりもこうでありたいという願望を事実化してしまう。
このような傾向があることは最近我々日本人にも認識され始めていることですが、なんと国体(国のあり方)を表す韓国の憲法の前文にもそのような傾向があります。
それは次のような部分です。
大韓民国憲法前文
「悠久な歴史と伝統に輝く我々大韓国民は、3・1運動で建立された大韓民国臨時政府の法統と、不義に抗拒した4・19民主理念を継承し、祖国の民主改革と平和的統一の使命に立脚して・・・」
韓国の悠久の歴史とは
「悠久」とは壮大な自然や歴史などに対して使われる、「長く続くこと」を意味する言葉です。
では韓国の悠久の歴史はどんなものだったのだろうか。
実は朝鮮は約500年間もの間中国の属国だったのです。
朝鮮は広大な国力を持つ中国と隣接しており、朝鮮史の始期から、深い関係があり朝鮮建国年の紀元前2333年以来日清戦争の1895年までの4228年間、朝鮮は中国に支配され続けていたとする見方もある。
この関係をはっきりさせる出来事として朝鮮は、第3代太宗の時の1403年に明の永楽帝から冊封をうけて朝鮮王国として承認された。
その証として中国の皇帝の使いの使者が来るたびに迎恩門で世界一屈辱的な礼として知られる「三拜九叩頭」(さんききゅうこうとうのれい)の礼で迎えさせられていた。
叩頭 (こうとう) とは額を地面に打ち付けて行う礼のことである。
三跪九叩頭の礼は以下の手順で行われる。
中国の使者の「跪(ひざまずけ」の号令でひざまずき、
- 「一叩頭」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける。
- 「二叩頭」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける。
- 「三叩頭」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける。
- 「起」の号令で起立する。

三跪九叩頭の礼をする朝鮮の仁祖王(銅板レリーフ)
これを計3回繰り返すので、合計9回、「手を地面につけ、額を地面に打ち付ける」こととなる。
しかも、額を打ち付けるところには石が置いてあり、額を打ち付けたときに「ゴン」という音と共に額に血がにじむまで行う。
血がにじまなければ誠意を持って迎えていないということになる。
これを王が行うのだから、世界一屈辱的な礼と言われている。
「三跪九叩頭の礼」は、清の皇帝に対する臣下の礼であり、三跪九叩頭を行って皇帝に拝謁することはその臣下を意味しており、国としては属国的な扱いになることを意味します。
また王になるにも清(中国)の皇帝の許しがなければなれませんでした。
これが韓国憲法前文にある悠久の歴史というところです。
「伝統に輝く」とはどんな伝統だったのでしょうか
併合前の韓国(李氏朝鮮)はどんな国だったのか理解しておきましょう。
それを知る資料としてイギリスの旅行家であるイザベラバードが残した旅行記があります。
イザベラバードが見た併合前の朝鮮の様子
イザベラバード
誕生・没: 1831年10月15日~1904年10月7日
国籍:イギリス
職業 :19世紀の大英帝国の旅行家、探検家、紀行作家
イザベラ・バードが1894年(明治27年)から1897年(明治30年)にかけて、バードは4度にわたり朝鮮各地を旅し、旅行の記録として『朝鮮紀行』を記した。
「朝鮮紀行」は当時の朝鮮の風俗、社会、政治情勢などを知ることのできる歴史的資料となっている。
朝鮮紀行の中で日本が朝鮮を併合する前に訪れた朝鮮の印象を以下のように記している。

庶民の暮らし

漢城市内(現在のソウル)
- 朝鮮の街並みについて
1894年の訪問時のソウルに関して、道は牛がすれ違えないほど細く迷路のようであり、家から出た汚物によって悪臭が酷く、北京を見るまで「ソウルこそこの世で一番不潔な町」だとし、「紹興へ行くまではソウルの悪臭こそこの世で一番ひどいにおいだ」「都会であり首都であるにしては、そのお粗末さは実に形容しがたい」と記している。
- 文化について
ソウルには芸術品はまったくなく、古代の遺跡もわずかで、公園もなければ、まれな例外を除けば見るべきイベントも劇場もなく、旧跡も図書館も文献もなく、宗教におよそ無関心であったため寺院もなく、迷信が影響力をもつため墓地もない、と驚いた。
- 宗教について
朝鮮の都市には寺院や聖職者の姿がない。
朝鮮の修行僧たちはひどく無学で迷信深く、 自ら信仰している宗教の歴史や教義についてほとんど何も知らなかったと記している。
- 両班(貴族階級)制度について
朝鮮には実質階級が盗む側と盗まれる側の2つであり、両班は公認の吸血鬼であり、ソウルには「盗む側」と「盗まれる側」の二つの身分しかないと述べている。
朝鮮の両班たちは貴族社会の全体的風潮である搾取と暴政をこれまで事実上ほしいままにしてきた。
従者たちは近くの住民を脅して、飼っている鶏や卵を奪い、金を払わない。
両班たちは働くことは卑しい身分の者のすることであるとして労働することはなく、物や金が必要になると農民を脅して取り上げていた。
それを許否すると公衆の面前でむち打ちの刑に処した。
併合前の韓国は500年もの間中国に隷属していたため自力で国を発展させる気概もなく、全ての技術の発展ががない停滞した時代であり、1910年のインドよりも朝鮮半島は貧しく、併合前の大韓帝国は東アジアの最貧国だったと言われています。
一般庶民の暮らしは貧しく、明日を生きていくのが精いっぱいの状態であり、文化や伝統ををはぐくむ余裕などなかったのが現実です。
韓国の伝統文化
googleで「日本の伝統文化一覧」と検索すると・茶道・華道・書道・歌舞伎・能・浮世絵・文学・柔道・剣道・相撲など列挙しきれないほど出てきます。
同じように「韓国の伝統文化一覧」で検索してみると、出てくるものはどれが代表的な伝統文化なのかはっきりしない状態になる。
そのせいなのでしょうか、侍、日本刀、剣道、空手、歌舞伎などの伝統文化から日本酒、海苔、寿司、蕎麦といった食文化まで多岐にわたり韓国が起源だと主張しています。
桜のソメイヨシノも韓国が起源だと主張していましたが、それを証明しようとして韓国の研究チームがゲノム分析を行ったところ、日本のものであるという結果が出てしまい落ちが付いた形で決着がついてしまった。
韓国ウリジナリの代表的な商品
大ヒットを記録し、韓国でも人気爆発のた鬼滅の刃ですが、「刀の形が韓国起源」という指摘が出始めている。
3・1独立運動と臨時政府
3・1運動(さんいちうんどう)は、1919年3月1日に日本統治時代の朝鮮で発生した大日本帝国からの独立運動のことを言います。
3月1日午後、現・ソウル中心部のパゴダ公園に宗教指導者らが集い、「独立宣言」を読み上げることを計画した。
このデモ活動がやがて全国に広がり、次々に市民が参加し、数万人規模となり、やがて朝鮮朝鮮半島全体に運動は暴動として広がり、暴徒による日本人惨殺や放火などが相次いだ。
これに対し、日本の総督府は憲兵や巡査、軍隊を増強し鎮圧し、このデモにかかわったものを逮捕・送検した。
一方司直の手を免れた活動家たちは上海へ亡命し「大韓民国臨時政府」を樹立したと声明を出した。
1941年に太平洋戦争が勃発すると、臨時政府はアメリカや連合国側に対して必要に承認を求めて働きかけたが、正当性がないとして承認を許否されている。
日本で言えば国家転覆を目的にデモを起こした連中が北朝鮮に亡命して日本の臨時政府を樹立したと声明を出すようなものである。
しかし、韓国憲法の前文にはこの臨時政府を継承して建国されたのが、現在の大韓民国であると記されている。
その理由は日本が降伏したから、棚からボタ餅式に建国できた、これではなんとも恰好が悪いので「抗日戦争を戦い抜き、日本を敗北させた」ことにするためにはこの建国神話が必要だったのです。
歴史の現実を直視するのはつらいことではある。
それゆえ韓国の憲法はこうであって欲しいという願望が入り混じったファンタジーあふれるものになってしまった。
このような韓国独特の文化を指摘し、日韓危機の根源とは何かを解明した書籍が韓国で発売されベストセラーとなった。
反日種族主義著者
ソウル大学元教授
経済史学者
「歴史に嘘をつくことはできない」というサブタイトルがついている「反日種族主義」
その出だしは韓国を「嘘の国」「嘘をつく国民」「嘘をつく政治」「嘘つきの学問」という衝撃的な見出しから始まっている。
栄薫氏は特に親日派ということではなく、歴史の真実はいずれ明らかになり嘘で固められた国家はこのままではいずれ亡国の道を歩み始めることを憂慮したものであり、その誤りを修正し、歴史に耐えうる韓国史に書き直すことを目的として書かれたのが「反日種族主義」である。
慰安婦問題も、徴用工問題も嘘であると学術的資料を基に検証している。
事実は事実として受け止めようという動きが少数ではあるが韓国の中からも出てきている。
以上のような歴史背景を背景を理解しておくとなぜ韓国人が反日となると一丸となって燃え上がるのか理解できるのではないでしょうか。
韓国人にとって反日は元気の素のビタミン剤なのです。