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太平洋戦争を望んだのは日本ではなく "ルーズベルト大統領 "だった

2021年5月10日

ゆがめられた史実を取り戻そう

子供たちの未来のために誤った歴史観を取り戻すことが必要だ。

本当に日本は東アジアを侵略した悪い国だったのでしょうか

今も日本人を支配する戦争自虐史観

日本はアジアの国々を侵略するためにアメリカとの開戦を望み、真珠湾に奇襲攻撃を仕掛けた悪辣で卑怯な国である。

日本は悪いことをした国だからと被害を及ぼした国に未来永劫贖罪し続けなければならない。

戦後日本人はおおむねこのような歴史観に基づいた教育を受けてきました。

しかし、2011年に「裏切られた自由(フリーダム・ビルトレイド)」と題する1冊の本が出版され話題になっています。

その本の内容はこれまでの太平洋戦争史観を180°覆す内容となっています。



 

 

50年間封印されていた回顧録「裏切られた自由」

第31代アメリカ大統領ハーバート・フーバー

「裏切られた自由」の執筆者はアメリカ第31代大統領を務めたハーバート・フーバーです。

太平洋戦争の開戦に踏み切ったのは32代大統領のフランクリン・ルーズべルトであり、フーバーはその前の大統領です。

本書はさまざまな情報にアクセスできたアメリカの最高権力者フーバーが20年の歳月をかけ資料に基づき第二次世界大戦の過程を検証した1078ページに及ぶ回顧録です。

太平洋戦争は何のために起こされたのか、また誰が起こしたものなのかを綴った内容になっており、これまで隠されていた太平洋戦争の真実が語られています。

しかし、この本は50年間もの間世に出ることはありませんでした。

なぜならこの本が出版されるとこれまでアメリカ人が持っていた太平洋戦争におけるアメリカの正当性や正義の戦争(good war)であった歴史観を否定してしまうことになるからです。

ひいては東京裁判は正しかったのか、裁かれるべき戦犯はだれであったのか、29万人も犠牲になったアメリカ兵の血は何のために流されたのかというところまで及ぶ可能性があるからなのです。

長い間封印されてきた本書が、時期が来たと判断したのか彼が残したフーバー研究所から2011年についに出版されました。
以下の二冊は膨大な一次資料に基づいて執筆した著書「FREEDOM BETRAYED」(フーバー研究所)から発刊された訳本である。

さまざまな情報にアクセスできたアメリカの最高権力者が、20年の歳月をかけて完成させた第一級の史料である。

ボリュームのある内容となっているがアマゾンであれば「試し読み」もできるので興味のある方は覗いてみると良いでしょう。

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-要約版-

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・第一章 「FREEDOM BETRAYED」を書いたフーバー大統領
・第二章 戦争を仕掛けたのは誰か
・第三章 ルーズベルトが犯した十九の失策
・第四章 戦争を望んだルーズベルトの狂気

太平洋戦争を起こしたのはルーズベルト大統領だった

第32代アメリカ大統領フランクリン・ルーズべルト

フーバーにはあの戦争は始まりも終わりも府に落ちないことが多い事ばかりだったという思いを抱いていた。

真珠湾攻撃の一報を聞いた時にフーバーは「ルーズベルトが何かしでかしてくれたな」という思いは浮かんだが詳細をうかがい知ることはできなかった。

ルーズベルトの対日外交は闇に隠されていて知る由もなかったが、感のいいフーバーは違和感をぬぐい切れなかった。

そのため国民の見えないところでルーズベルトは何をしていたのかを記録しなくてはならないと思った。

そして20年の歳月をかけ、事実を積み重ね検証した結果、スターリンと手を組んだルーズベルトがアメリカに共産主義を広め、いかにアメリカの本道から外れた政策をとってきたかということを明らかにしていきます。

フーバーはこの回顧録の中で

  • 太平洋戦争は日本が望んで始めた戦争ではない
  • 日本を追い詰めて戦争を仕掛けたのはルーズベルトだった

とはっきりと書いています。

このことは敗戦後日本を統治した連合国軍最高司令官のマッカーサーもアメリカ上院軍事・外交合同委員会で以下の通り証言しています。

「日本は侵略ではなく、自衛のために戦争したのだと」

知っておきたい「マッカーサー証言」日本は侵略ではなく自衛のために戦った

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そしてまたルーズベルトが大統領に就任していた12年間の間にアメリカ政府に入りこんだソ連や中国の共産主義のスパイにより、どのように日本を開戦に引き込んだかを記した一級の資料となっています。

ルーズベルトはなぜ戦争を望んだのか

1、中国をめぐる利権の争い

当時、アメリカは太平洋、日本、満洲、シベリア、ヨーロッパ、大西洋を連結する世界一周の交通ネットワークを確立して商業権をアメリカが一手に握る遠大な計画を持っていた。
その手始めに南満洲鉄道の経営に参画し、さらには東清鉄道やシベリア鉄道の買収も考慮する算段を立てていた。

中国大陸における権益獲得に出遅れていたアメリカは「機会均等」を主張し、満州の権益を半分を渡して中国の市場に参入させろと言ってきました。

要するに俺にも分け前を寄こせということです。

これに対して日本が許否の姿勢を示すとアメリカは大きな不満を持つことになります。

当時東アジアにおいては日本が勢力を伸ばしていて満州、朝鮮半島、台湾を領有するなど日本はイギリス、フランス、イタリアなどと肩を並べる列強国の仲間入りを果たしていました。

アジアへ進出し、覇権を握るためにはアジアの列強国の地位を占めていた日本が邪魔な存在になってきます。
この頃からアメリカが日本に対して敵視政策を取るようになり、嫌がらせが始まるようになります。

2、戦争による経済復興

またルーズベルト自身にも戦争を必要としている理由がありました。

当時世界恐慌の嵐が吹き荒れ、アメリカも不況に見舞われていて失業者で溢れていました。

その状況を克服するためにルーズベルトは「ニューデール」という社会主義的な政策を実施しましたが国内の景気は何をしてもよくならず失敗に終わります。

景気を短期的に回復させる方法として残されていたのが戦争特需です。

戦争というのはとにかく物をバンバン消費します。
景気が回復すれば政策の失敗も全て帳消しになります。

3、イギリスとソ連による参戦への要求

スターリンとルーズベルト

ルーズベルトはスターリンを信愛の情を込めてアンクル・ジョーと呼んでいた

この当時、ヨーロッパではドイツが力を持ち、またたくまにパリを占領し、イギリスを追い詰め、ソ連を追い込んでいました。
そのため劣勢を回復するためにイギリスのチャーチルとソ連のスターリンに早くアメリカに参戦をするようにルーズベルトは求められていました。

日本軍が真珠湾攻撃を行ったという一方を受けチャーチルが言った有名な言葉があります。

  • 「ついに一緒の船に乗った、これでアメリカが参戦してくれる」
  • 「勝った、これで今夜は安心して眠れる」

ルーズベルトは共産主義の本質を見抜くことができずそれどころかスターリンにシンパシーを感じていて共産主義思想に共感を示してさえいた。

その証拠に大統領になると共産主義に対して警戒を促す国務省の専門家の意見を遠ざけ、すぐに共産国家ソビエトを承認しています。

アメリカがソビエトを承認したことでアメリカ国内でのソビエトの工作機関の活動の温床となりアメリカの参戦へ向けてルーズベルト政権に大きな影響を与えることになる。

スターリンの狙いはアメリカと日本を戦わせて混乱に乗じて共産主義国を世界に広めることにあったのです。
その目的を果たすためにアメリカ政権内にスパイを送り込み活動させました。

「ヴェノナ文書」で解明されたルーズベルト政権内にいたソ連のスパイ達

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アメリカの強まる対日制裁

■日ロ戦争の勝利
日ロ戦争の勝利によって世界の日本を見る目が変わった。
1920年に生まれた「国際連盟」において日本は常任理事国に名を連ね世界を代表する列強国の1つになりヨーロッパ諸国から敬意を払われるようになったが、日本を称賛する国ばかりではなかった。
その一つがアメリカである。

■満州の利権争い
1920年代に入るとアメリカは満州を含め中国大陸から日本の兵隊を全て引き上げさせろと言ってくるようになります。
満州は日ロ戦争により合法的に獲得したものであり、独立国ですから他国に干渉される筋合いのものではなく満州国の依頼により治安を守るため日本軍は駐留していたのです。

引き上げることになれば合法的に獲得してきた権益を捨てることになり、在留している多くの日本人の安全も守ることはできなくなります。
日本からしたらとても呑めるような話ではありません。

これを許否したためアメリカとの溝が深まり、日本が目障りな存在となっていった。

■排日移民政策法施行
1924年日本からの移民を全面的に受け入れを禁止する法律が施行されこれを機に日米関係がさらに悪化していくことになる。

■日米通商航海条約破棄
1939年

■航空機用ガソリン製造設備と技術の輸出の禁止
1924年

■経済制裁発動
1930~1940年、アメリカ、イギリス、中華民国、オランダの各国の頭文字をとったものでABCD 包囲網と言われた。

石油輸出の全面禁止
1941年、資源の獲得を目指して日本がフランス領インドシナに進駐すると、アメリカは対日資産の凍結と石油輸出の全面禁止を実施。
日本は石油の約八割をアメリカから輸入していたためそれを止められることは日本の息の根を止められると同じだった。
国家の死活問題であり半年後には国民生活が成り立たなくなってしまい国が崩壊することを意味することになります。

■日本を開戦に追い込んだ最後通牒「ハルノート」
1941年11月26日、ルーズベルトは最後の仕上げとして日本がとても承諾できないような文書を突き付けてきた。
交渉のアメリカ側の当事者であったコーデル・ハル国務長官から送られてきた文書のため通称ハルノートと呼ばれている。

その内容は「インドシナと中国から全面撤退すること」であった。

ハルノートに対して、戦争回避派の東郷外相でさえも

「長年における日本の犠牲を全然無視し、極東における大国の地位を捨てよ、と。
これは国家的な自殺に等しい。最早や立ち上がる外ない」

と言わしめる内容であった。

しかし日本に突き付けた10項目の条件について後にハル自身がこう述べている。

「日本との間で合意に達する可能性は現実的に見ればゼロである」

日本が絶対に呑めない条件を突きつけたのだ。

 

日米戦争勃発

かくして追い込まれた日本が1941年12月に真珠湾を攻撃したことにより日米戦争が勃発した。

ルーズベルトは平和交渉を日本が望んでいることも、ハルノートの存在も議会や国民に隠したまま、日本が卑怯にも突然真珠湾に奇襲攻撃をしたと演説をし、アメリカの国中が怒りに燃え開戦やむなしという世論をバックに議会の承認を得ることに成功した。

アメリカ全体が戦争に向けて舵を切った瞬間である。

フーバー元大統領は「裏切られた自由」の中でこの時のことをこう書いています

日本が提案した和平交渉の内容はアメリカの国益に十分叶うものであったのにそれを拒否した。
なんでこれを受け入れられないんだ、常軌を逸している。

ルーズベルトはこれをきっかけにしてもっと大きな戦争を引き起こしたいと思っていたのではないか、日本は戦争を避けたかったんだ、戦争は日本が始めたものではない」と言っています。

 

ルーズベルトはアメリカ国民を裏切った

ルーズベルトが腹の中ではすでに参戦を決めていたのだがその当時の80%以上のアメリカ国民は外国の揉め事に介入することは反対とする世論が大半を占めていた。
第一次世界大戦に参戦し、大変苦い思いをした経験をしていたため第一次世界大戦に参戦したのは間違いだったと考えていたのです。

戦争に巻き込まれて若いアメリカ人の血を流すことに反対する意見が多かったのです。

ルーズベルトは1940年に大統領として三選を果たすのですがその時の公約が

今私の話を聞いている父や母の皆さんにハッキリ申し上げる。攻撃を受けない限りアメリカは絶対に参戦しない、あなた方の子供たちが外国の地での戦争に送り込まれることは決してない

だから安心して欲しいと言って支持を集め当選したのです。

そういって当選したのですから大統領と言えども簡単に戦争を始める訳にはいきません。
国民世論は「アメリカが現実に攻撃される」ような劇的な事件がなければ変わりようがなかった。

それならばどうするのか、日本から先制攻撃をするように仕向けて戦争になだれ込めば世論も納得する。
この目論見は物の見事に的中し、世論を変える事件は翌年の真珠湾攻撃で現実的なものとなった。

終戦後長い間ルーズベルト外交を批判することは許されなかった。

「日本は問答無用の悪い国であり、アメリカが叩き潰さなかったら世界は全体主義に覆われていた」とするアメリカの戦争史観を根底から覆すことになるため議論することさえタブーとされていた。

いや、実はそうではなかったのではないかという歴史学者や評論家の意見は「歴史修正主義者」というレッテルを貼られ徹底的に排除されてきた。

今まで疑念とされてきた疑惑がフーバーの「裏切られた自由」と「ブェノナ文書」の二つの資料が公開されたここともあり、アメリカの保守派の間で太平洋戦争史観の見直し作業がさらに進めれている。

フィリス・シュラフリー
1924年-2016年
一千百万人に及ぶアメリカの「草の根保守」団体の会長。
米大統領選の共和党候補トランプ氏の支持を表明していた。

江崎道朗(近現代史研究家)のインタビューに次のように答えている。

皆さんに伝えたいことはきちんと情報を得ているアメリカの保守主義者は、ルーズベルトが工作をして日本に真珠湾攻撃を促しという事実を理解しているということです。

フーバーが「裏切られた自由」の中で伝えたかったこと

日米戦争はフランクリンルーズベルトが仕掛けたもので、日本の侵略が原因ではない

アメリカは日本に原爆を落とす必要はなかった

ルーズベルト外交によりソビエト共産主義の東アジアへの拡散を防いでいたアジアの強国日本は崩壊し共産主義が世界に広がった

ということを記しています。

こうしてルーズベルトは共産主義と戦っていた日本を戦争に巻き込み叩き潰すことに成功しますが、その結果、共産主義を世界に広めることになります。

その結果、東アジアの地域において戦後日本に変わりアメリカがロシアや中国、北朝鮮の共産主義の脅威と対峙しなくてはならなくなります。

歴史に「もしも」はありませんが、もしあのときルーズベルトがソ連を承認しないで日本と一緒にソ連と戦っていたなら、世界の国のあり方も大きく違っていたのではないでしょうか。

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