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知っておきたい「マッカーサー証言」日本は侵略ではなく自衛のために戦った

2021年3月1日

日本ではあまり知られていませんが、マッカーサーがアメリカの上院議会で行った貴重な証言があります。

1945年8月15日、天皇陛下による玉音放送が流され、終戦が日本国民に伝えられた。

1945年8月30日、連合国軍最高司令官のダグラス・マッカーサー元帥が厚木飛行場に降り立ち、日本の絶対権力者として2.000日に及び日本に君臨することになる。

その後1950年6月南北に分断された朝鮮半島で朝鮮戦争が勃発し、マッカーサーは朝鮮へ赴くことになる。

朝鮮戦争の国連軍司令官に任命されたマッカーサーは時の大統領のトルーマンと戦略面で意見が対立し、戦争のさなかに解任され本国に召還されることになる。

そして1951年の5月3日からマッカーサーを証人としたアメリカ上院軍事外交合同委員会が開催された。

主な議題は「マッカーサーの解任の是非」と「極東の軍事情勢」についてであるが、日本についての質疑も行われている。

その中でマッカーサーは日本の戦争動機について以下のような貴重な証言をしている。



マッカーサーのアメリカ議会証言録

第二次世界大戦における対日戦略

ヒッケンルーパー上院議員

5番目の質問です。
赤色中国に関する海と空からの封鎖という貴官の提案は、太平洋において米国が日本に勝利を収めた際の戦略と同じではありませんか。

マッカーサー証言

我々は、日本を包囲しました。(中略)・・・

「日本は4つの小さい島々に8千万人近い人口を抱えていたことを理解しなければならない」

日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無い、彼らは綿が無い、石油が無い、スズが無い、ゴムが無い。

他にもないものばかりだった。そしてその全てがアジアの海域に存在していた」

「もしこれらの原料供給を断ち切られたら1000万~1200万人の失業者が日本で発生するであろうことを彼らは恐れていた。

「従って日本を戦争に駆り立てた動機は、大部分が安全保障上の必要に迫られてのことだったのです。(Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.)」

この意味するところは、日本は侵略ではなく「安全保障の必要に迫られてのこと、つまり自衛のために戦争したということになる。」

ABCD包囲網を敷き、日本を追い詰めた米国の日本に対する厳しい経済封鎖が巻き起こした戦争であったという意味が含まれている。

マッカーサーの証言は
「侵略国家である日本を打ち負かした正義の戦い(good war)であった」という先の大戦の大義を否定することになるため議場はどよめいた。

アメリカでは当時のニューヨークタイムズにこの証言の全文が掲載されている。
しかし、言論統制を敷いていたGHQが日本を撤収した後も日本のマスコミでは一切報じられていない。

敗戦に伴い東京裁判で日本はアジアを侵略するために戦争を起こした悪い国だというレッテルを貼られてしまう。
その汚名を晴らす証言となるはずだが、なぜか日本では報道もされず、教科書にも載らない。

この証言が広く日本人に知られていれば、愛する人や自国を守るために尊い命を散らして亡くなった軍人や家族たちの名誉も守られたはずなのだが。
夫や息子を戦場に送り出した遺族にしてみればさぞかし悔しい思いをされたであろう。

また戦後アメリカ軍が行った洗脳政策(WGIP)によって植え付けられた「自虐史観」からもっと早く解放されていたのではないだろうか。

マッカーサーは東京裁判で日本を一方的に侵略国と位置づけたが、後に太平洋戦争に至った歴史の経緯を見直し、この証言に至ったのであろう。

日本は共産主義と戦っていた

マッカーサーが解任される前年の1950年6月、南北に分断された朝鮮半島で朝鮮戦争が勃発し、マッカーサーは国連軍最高司令官に任命され戦争の指揮を執ることになります。

北朝鮮軍の侵攻に対して、韓国軍を「国連軍」の軍旗を掲げたアメリカ軍が直接支援し、戦争の後半には中華人民共和国から義勇兵が北側に参戦し激しい戦いが繰り広げられた。

共産主義と自由主義を掲げる二陣営が対立する戦いとなった。

この朝鮮戦争を通じてマッカーサーが体感した証言もあります。

マッカーサー証言

「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える。
次の100年で代償を払わなければならないだろう」とも証言しています。

マッカーサーは、朝鮮戦争を通じて北朝鮮の背後にいるソ連、中国(中華人民共和国)という共産主義国の脅威を痛感した。

満州や朝鮮半島が共産主義国の手に落ちれば、日本も危うくなる。
その時にマッカーサーは日本が何と戦っていたのか身をもって理解したのです。

「日本は日本列島における地政学上の危険性から自国を守るために共産主義陣営と戦っていたのだ」と気づいたのです。

戦争するべき相手は日本ではなく共産主義を広めたソ連や中国共産党だったのだと。

もしあの時日本とアメリカでソ連を崩壊させておけば、ロシアとの冷戦時代もなかったであろうし、今の中国や北朝鮮ももっと違った国家となっていたのではないでしょうか。

ソ連との冷戦は終焉を迎えましたが、今、アメリカは我が物顔に膨張を続ける侵略国家と化した中国と激しい覇権争いを繰り広げることになり後始末に追われています。

太平洋戦争以前までは東アジアの国々はタイと日本を除き欧米列強により植民地となっていた。

太平洋戦争で日本がアメリカを中心とした連合国軍と戦ったおかげで植民地とされていた多くの国々が独立を果たすことにもなったのです。

戦後、独立を果たしたアジア諸国から日本へ送られた感謝の言葉

 

ラダ・ビノード・パール判事

日本の戦争責任を問い、A級戦犯を裁いた極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判。連合国を中心とした11カ国から派遣された判事団の多数意見により、25人が有罪とされ、東条英機元首相をはじめとする7人が死刑となった。

そんな中、「被告人全員無罪」を主張したのが、インド代表判事のパール博士だった。博士は東京裁判を「勝者が、敗者だけを裁く急ごしらえの法律をつくり、これを過去に遡って適用した違法裁判である」と断じたの裁判官が、インドのパール判事である

東京裁判について
日本を再訪した際、パールは東京裁判についてこう述べた。

彼ら連合国は、日本が侵略戦争を行った事を歴史に留める事によって、自己のアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の過去18年間の一切を罪悪であると烙印する事が目的だったに違いない

パール判決はその後、世界中で評価され、マッカーサーも「あの裁判は間違いだった」と認めている。ただ日本人だけが、今も自虐史観の中にいる。

「日本は侵略のために戦争をしたのではなかった」
このことはもっと多くの日本人が知るべきことであり、もっと堂々と世界の真ん中に出ていくべきである。

太平洋戦争を望んだのは日本ではなく "ルーズベルト大統領 "だった

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